最新の6人家族の写真(2008年7月)
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結婚12年目・34歳にして、4児の父となった。うち3人の出産に立会うことができ、自分が子どもを産めないことを残念に(幸運に?)思いつつ、妻の馬力に深く、深く感謝する。 4人の親になる過程には壮絶な育児ノイローゼや夫婦喧嘩、家出などがあった。でも子どもたちの笑顔が何より夫婦の絆だ(詳しくは「橋本岳はなぜ代議士になったか」「橋本岳の35歳の挑戦」へ)。
代議士になって四年、世の中すべてのおかあさん・おとうさんを応援したい。そのために自分は何ができるか、ともに考えてゆきたい。
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こどもと高齢者施設でボランティアコンサート(2004年)
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ボランティア活動は、仕事とは別の、自分にすばらしいエネルギーをいただける。子どもや妻とともに高齢者の施設を訪問する活動に参加している。訪問先の高齢者のみなさまに学ぶことは多い。ひとりでも多くの子どもがボランティア活動に参加するような社会になればと考えている。東京時代も家族で年に1、2回行ってきたが、倉敷に引っ越して以来橋本岳ファミリー慰問回数は4年弱で10回を超えている。音楽が大好きな子供たち、歌が上手な妻・栄里子、そして立っているだけの僕。。。それでもよく来てくださったと笑顔で迎えてくださる方や、童謡を聞き泣いてくださる方がいる限り、自分たちなりの慰問を続けたい。 |
研究員時代の貫禄ある自分(2003年ごろ)
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研究生活は座り仕事、大学生活から結婚後、相当体が重くなってしまった。友人は「幸せ太り」というが、剣道がんばって、自分の体を鍛えたい。仕事は油に乗ってきたころであった。やっと一人前になった5年目ごろから、自分のシンクタンクでの仕事に限界を感じることもあった。政治への秘めたる思いを胸の奥深くに刻み始めた時期である(詳しくは「橋本岳はなぜ代議士になったのか」へ)。 |
長女とピアノの発表会(2003年)
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長女と私は、岡山にゆかりの深い岡崎ゆみ先生のもとで、ピアノのレッスンを受けていた。自分が小学生のころに習いかじったピアノを改めて小学3年生になる娘と習うことは、目じりが下がる。娘の上達ははやく、わたしは1年に1曲ペースとなってしまった。面目立たず。ピアノの発表会では、娘の演奏は大変評判はよいが、妻は私の演奏のとき、心臓が止まるほど心配するらしい。妻の心臓は止まらずに済んでよかったが、私の演奏は止まってしまった。聞きに来ていた父龍太郎は、孫の演奏は絶賛し、息子の演奏が止まった段階でいたたまれず、帰ってしまった。 |
妻とのデート。鶴岡八幡宮にて(1993年)
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 妻とは大学の同級生であり、お互いに一目ぼれ(?)。4年間キャンパス生活を通じ、皆が公認の仲となってしまった。もっと比較検討していれば、と今でもお互い冗談を飛ばすが、和服がよく似合う妻のつぶらな瞳の前では...。 |
大学にてインターネットを学ぶ(1993年)
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インターネットがそれほど普及していない時代に、情報化社会について大学で学び、実践できたことは、現在においても自分の核となっている。議員活動においても、「ネットに一番強い橋本」として不動の地位を得ているのはSFCでの大学生活のおかげだ。 |
大学(日吉)の卒業式にて、妻と(1996年)
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学生時代は体育会剣道部に所属し、学生服を常に着用していた。この日最後の学生服姿となった。卒業式会場は慶應義塾大学日吉記念館。4月には大学院入学と結婚式を控え、二人はバタバタしていた。一緒に遊んだ級友たちとの別れはつらかった。 |
学生結婚・大学院修士1年22歳のとき(1996年4月)
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親のスネをかじりつつ結婚させてくれたお互いの両親に感謝。このとき父は首相在任中。妻とは大学院修士課程でも同級生。互い切磋琢磨して成績を競い合う不思議な関係。この時の妻はもっとも光り輝いていた。今は立派な4人の子を持つ肝っ玉母さんになった。お仲人は大学の教授で、体育会剣道部の師範であり、かつ父の旧友だった福本修二先生夫妻。 |
父と首相公邸において剣道をする
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父が総理在任中、父と息子で触れ合った良き思い出がこの写真。ゴールデンウィークのある1日、激務の父の貴重な休みの日、旧首相公邸の庭で野稽古をする。赤胴が私。剣道はまだ父に追いつかない。共通の趣味がもてたことに感謝。この時は父にかなわず、負けた。いつの日か雪辱を果たすと誓ったが、その機会はなく父はこの世を去った。今は長男が剣道をやっている。大会で入賞をする孫の姿をきっとどこかで見守っているに違いない。 |
23歳で1児の父となる(1997年)
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友人のなかにも誤解をしているひとが多いが、この際はっきり申し上げます。できちゃった結婚ではありません。ハネムーンベイビーです。修士時代、長女が産まれた。弱冠23歳。ヤンママならぬヤンパパだろうか。新婚生活に甘い甘い期待をしていたが、妻は妊婦となり、私はもっとかまってほしかった。赤ちゃんが持っているバッファローのぬいぐるみは、父龍太郎のデンバーサミットのお土産の品。おもちゃ如何によらず赤ちゃんの子育てにこわごわの日々だった。 |
妻の授業中は子守(1997年慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて)
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学生結婚中、妻の授業のあいだ、キャンパス内で子守をすることもあった。思えば、さぞやキャンパスで目立っただろう。でも、その後、子育て中の女性の大学院生をちらほら見かけるようになった。私は勉学と育児、仕事を育児を積極的に両立することはすばらしいことだと思う。大学院の授業の成績は学部時代に逆転して僕のほうが家内より良かった。しかし、修士論文の中間発表では妻がオールAをとり、後半負けじと頑張った。その後私はシンクタンクへ勤め、妻は博士課程に進学した。 |
趣味のシュノケーリング(2001年)
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趣味のひとつにシュノケーリングがある。子ども大人関係なく楽しめ、海の青さ、自然の豊かさを満喫できる。実は、妻とは読書や音楽の趣味が正直合わないが、シュノケーリングだけは共通の好きなこと。いつか子どもが大きくなったら、ダイビングにも挑戦してみたい。(シュノケーリングのあいだはおしゃべりな妻も無口になることを発見したことも偉大な発見だ。これは家族で初めてグアム島に行った時。バンザイクリフを訪れると涙が止まらなかった。) |
長男誕生時の家族の集合写真・26歳のとき(2000年)
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26歳のとき第2子長男がうまれる。三菱総研研究員2年目のことである。ミレニアムベイビーだった。サラリーマン時代で、もっとも生活が苦しかった頃。近所に住む両親からお米や味噌醤油お酒といったものを援助してもらってなんとかやっていた。家内は大学院と育児の両立でへとへと。地域の美容店のおばちゃんや魚屋のおばちゃんに助けられ、子どもは大きくなっていった(詳しくは「橋本岳はなぜ代議士になったか」へ)。 |
長男の幼稚園運動会にて(2004年、東京にて)
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幼稚園年少に成長した長男のため、運動会の玉いれに参加した。長女長男の幼稚園行事・学校行事には、私の楽しみであり、参加したくてしかたない。娘の友達に「ふーちゃんのパパって、若いね」といわれたときは、得意げな顔をついしてしまった。長女は中学一年の文学少女になり、長男は倉敷市立の小学校に元気に通う剣道少年に成長した。
二女の幼稚園運動会にて(2008年、倉敷にて)
4歳違いの二女の幼稚園の運動会は、倉敷の地元私立幼稚園で。小学校のグランドを借りて行われた運動会の保護者リレーには、全力で走った。後で夜中に足がつって困った。娘の前ならどんな父親でもいいとこみせたいよなぁ。
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